察する力

村上春樹の小説1Q84の中で「説明しなくてはそれがわからんというのは、つまり、どれだけ説明してもわからんということだ」という言葉があります。
具体的に説明することに重きをおかれる理系の職場では、人間関係・意識・風土などの課題に取り組むに当たっても、技術課題を解決させるアプローチが取られがちです。そのため事実に基づき、ということを重要視します。事実に基づく必要性は確かにそうですが、果たして何をしたら事実が拾えるのかが問題です。しかしどうやら意識・風土に関してのアンケートや対話をすれば、みんなが意見を言ってくれる、事実が拾えると思っているようです。そして出された意見を表面的にそのまま捉え、そのものへの対処をする。もはや指示待ち状態です。
そう「察する力」が弱いのです。

必要な場面

察する力が必要な場面は何も職場だけではありません。むしろ夫婦・恋人・友人など親しい関係の方が必要とされるかもしれません。
理系脳全開だった私は昔友人を一人減らしました。当時別れ際に彼が言っていたのは「何でも(言葉で)言ってくれるなと思うなよ」でした。
この時、自分の察する力の弱さを強く実感しました。

4つのポイント

職場での人間関係と親しい関係では背景が違います。どちらにおいても必要なポイントは変わりませんが、職場の人間関係においては特に意識する必要があると思います。

無用の用

察する力を養う上で必要なものは何でしょうか?基本的に何か特効薬があると思わないことです。
相手の考え・価値観を知る。このこと全般が相手との関係の中で察することができる土壌を産みます。そのため日頃から人間関係を築き上げることが必要で、何かが必要になってからと慌てて間に合うようなものではないのです。

要約力

何かのテーマに対してのアンケートや対話から得られた情報をそのまま表面的に捉えるのであれば要約力はいらないかもしれません。しかし、無用の用で得られた莫大な情報まで取り入れようとすると要約力が必要になります。また発言ひとつひとつに対しても何を言わんとしているかを理解する要約力が必要です。
要約力、これは言い換えると抽象化です。表面を捉えるだけでなく本質を捉えることが察する力を養う上で重要になります。
一方で要約する際に自分の理解の範疇に狭めてしまったり、フィルターを通して違う理解をしていないかは注意が必要です。

相手の立場に立つ

「サリーのカゴ、アンの箱」という相手の立場に立てるかどうかを確かめる心理実験があります。基本的な実験としては3,4歳くらいを対象にしているものですが、仕事や実生活になると、「相手の立場に立つ」これができてないなと思う人をよく見かけます。しかしこれができてない上で察することなどできるはずもありません。

深く考える

要約力も相手の立場に立つことも基本的に思慮深くなくてはできません。また無用の用もどれだけアンテナを広げられるかが関わるため、アンテナを広げる=常日頃から様々なことに興味を持ち、常に考えている必要があります。哲学的に考え抜くことや、禅問答的なことを普段から行うことが有用になります。

まとめ

良い建築家に家を建ててもらうと、打ち合わせの際に家についての直接的な話はあまりしないというのを聞いたことがあります。「部屋数がどう」とか「部屋の広さが何畳」とかではなく、その人の価値観・生活スタイルを限られた時間で見て聞いて、結果として満足度の高い家を提案するのです。
察しが良い人、それはこの建築家のように潜在ニーズまで捉えて満足度の高い提案ができる人で、無用の用的に情報を拾い、要約ができ、相手の立場に立てて、そして考えられる。これができる人なのではないかと思います。

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