変わることとその感覚について

少し前に変化と成長について書きました。しかし「自分では変わった気でいるけど周りからはそう見られていない」つまり自分の成長している感覚とのギャップがある場合があると思います。
今回は変わることとその感覚について考えます。

考えるべきポイント

自分の感覚にどこまで頼れるかは難しい話となります。

客観的評価の必要性

自分の居心地の良い感覚や変わった感覚というのはともすると危険で、これは変わっていない可能性であったり変わっていたとしてほとんど変化がなく必要とされる変化からすると微小すぎて意味のない可能性があるからです。自分が思っている変わったという感覚と他者が見て変わったという感覚にはかなりのギャップがあります。また良い方向に変わるというのは並大抵のことではなく、簡単に自分が感じる変化というのは何か間違った方向に行っている可能性もあります。そのために以前にも書いた客観的評価はとても重要になってきます。

周りの価値観との整合性

ではただ単に周りの言うことを聞けばいいのかというとそういったことでもありません。自分が何を目指しているのかそのために必要としている変化は何なのか、以前も書いた通り目標や目指しているものが必要で、その目指しているものと客観的に評価してくれる人の価値観や観点が合致しているのかも重要になってきます。

気づけば違う感覚

あえて大袈裟に変えたときでない場合の成長による変化というのは自分では気づきにくいものです。先に書いた通り簡単に変われるものは既に誰もが行っていたり、自身も既にできるはずであまり価値の高いものではないと思います。恐らく成長といった視点で望む変化は簡単なものではないはずです。この場合は変化による感覚の違いというのは気づけば違う感覚になっているというものの方があてはあるのではないでしょうか。
加えて重要なのがこの気づいたら変わっていた感覚を大切にしつつ、これをあたりまえにすることです。これが習慣化と繋がりここをベースにして、さらに成長をする足場とすることができます。

まとめ

自分の「成長した」という感覚を実際の成長が近しいものになるというのは難しいことです。そのため客観的評価を大切にする。一方でその評価軸が自分の価値観と合っているかも注視する。
イチローは「自分が努力している感覚はなく自分がのめり込んでやっていたら周りの目が努力しているという評価をした」と言っています。あまり変化や成長に囚われすぎずに自身が目指すものに邁進することも重要です。

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